最近さまざまなところでの議論に「2ちゃんねる」とか「2ちゃんねらー」とかが登場しているのを見て、更にその大部分がそこから議論が拡散し交錯し収拾が付かなくなってるのを見て来て「なんだかなぁ」と感じてたので、その「なんだかなぁ」を分析してみようかと。
2ちゃんねる[にちゃんねる]
2ちゃんねるはスレッドフロート型掲示板という電子掲示板の集合体である。「ニュース極東」や「心理学」など様々な分野に関する掲示板(板、いた)が存在し、それぞれの板においてその分野のトピックについて話し合うスレッド(スレ)が複数独立して進行している(例:「天皇皇后両陛下サイパン訪問」「数学も物理もできない哲学者なんて」)。スレは基本的にスレ作成者(1、いち)の提示したトピックに対するコメントを投稿(レス)していく形で進行していき、レス数が1000を超えてなお話が継続する場合には新しいスレ(新スレ)が作成される。また、板は「ニュース」「文系学問」など更に上位のカテゴリ(カテ)に分類されている。特定の板やスレをよく利用する人のことを住人もしくは住民と呼ぶ。
2005年5月現在700以上の板があり、各板には数十から数百のスレッドがある。「『ハッキング』から『今晩のおかず』までを手広くカバーする巨大掲示板群」[1]というキャッチフレーズの通り話題は多岐に渡る。板は現在でも時折新設されており、常設板の他にもバーゲン板のように特定の季節に期間限定で開設されるものもある。2004年8月には五輪期間中限定の専用の板が新設された。また、過去には管理人ひろゆきの誕生日に彼を祝福するためだけの板が新設されたこともある。沢山の板が存在する一方で学問系の板を中心にあまり利用されていない板も少なからず存在する。そうした極端に利用者が少ない板は「過疎板」と呼ばれる。
2ちゃんねるでは投稿の際に名前欄の記入が必須ではなく、匿名での参加が可能となっている。このため、2ちゃんねるを自由に気兼ねなく発言できる言論空間であると評価する声がある一方で、後述するように匿名性を利用した無責任な迷惑行為も多発しており、批判の的にもなっている。
2ちゃんねる – Wikipedia
2ちゃんねらー[にちゃんねらー](同:ねらー)
2ちゃんねる利用者の年齢層は不明だが、基本的には10代後半から30代が主な利用者だと言われる。昨今爆発的に増加した携帯電話からのアクセスも含めると、総数はさらに多くなると見られている。ただし、この内常連がどの程度なのかは不明。
現実においては、2ちゃんねらーだということは良くない印象を抱かれる事も多く、当の2ちゃんねらーでもわざわざ公言するのを嫌う者も多いため、現実世界で2ちゃんねらーであることを公言する人は少ない。ただ、芸能人などが自ら2ちゃんねらーであることを直接的・間接的に公表する事もしばしばあり(保田圭、矢口真里、安倍なつみ、上戸彩、綿矢りさ、深田恭子、青木さやか、若槻千夏、小倉優子など)、中には“プロ2ちゃんねらー”を自称する中宮崇(カルトウォッチャー)や2ちゃんねるを肯定的に評価する西村幸祐(フリージャーナリスト)のような人物もいる。一方で、一般に2ちゃんねらーはオタクであるとの認識を持つものも多く、2ちゃんねらー自身の書き込みでもそのような認識を表したものは多いが、実際には掲示板の種類や世代によりかなりのバラつきがあると推測されているため、一概には言えない。オタクの定義は様々なので、そもそも2ちゃんねるに書き込んでる時点でオタクであるとする意見もある。そして電車男が話題に成った以降は「2ちゃんねらー=オタク」と言うイメージは固定化した。
また、NEETという言葉が一般的になってから2ちゃんねらーはニートの集まりだとするレスが多く見られるようになった。平日日中にモブをやるなど実際にニートの2ちゃんねらーもある程度はいると見られている。またテレビでニートの話題が出ると必ずと言っていいほど祭りになる傾向にあるのも裏付けられている。
2ちゃんねらー – Wikipedia
ちなみに俺も2ちゃんねらー。
主に出入りしてるのは「ニュース速報+」「Vip」「プログラム」「プログラマー」「WebProg」「Linux」「楽器・作曲」「ニュース極東」「議員」「法学」「AAサロン」「物理」「シミュレート」「数学」「議員・選挙」あたり。
あとは実況とか生活あたりとか。
2chは毎日見てるけどどこに行くかは気分次第。
毎日見てるのはニュースヘッドラインとプログラム系3板ぐらいか。
前提の話その1:言葉の整理
そもそも2ちゃんねるとは何か。
システム的な面から言えば2ch.netドメイン下で運営される匿名投稿が可能な無数のスレッド式掲示版群の総称だというのに異論は無いだろう。(*1)
各掲示版はカテゴリーごとに「板」と呼ばれる集合に属し、その板の集合が「(掲示版群としての)2ちゃんねる」と一般的に呼ばれる。
総体として語られる「2ちゃんねる」とは上記システムを利用するユーザーの集まる「仮想的な場」と捕らえる事ができるだろう。
また「2ちゃんねらー」とは何かと考えると
- 2ちゃんねる利用者を表す肩書
例:「あいつは2ちゃんねらーだ」 - 2ちゃんねる利用者全体を表す総称
例:「2ちゃんねらーには良い奴も悪い奴もいる」
の2つの意味が使われる。(*2)
前提の話その2:光の二面性と量子力学
「光とは波であり粒子である」
これは現在の物理学において常識である。
また、この理論から電子や原子も波であり粒子であるとされ、そこから発展した量子力学によって、「電子や原子の場所は確率的であり、その場所は特定できず、複数の場所に存在する可能性として存在する」という或る種哲学的な解釈がなされている。
(「波動と粒子の2重性」哲学的な何か、あと科学とかから続く全23ページが非常に分かりやすく、読み物として非常に面白いので先に読んでおく事をお勧めする。)
前提の話その3:カオス理論とフラクタル
カオス理論 (Wikipedia)という面白い理論がある。
一言で言えば「複雑なものの未来は予測不可能である」だ。
単純な機械は入力に対して出力は単純な結果となる。
しかし、これをどんどん組み合わせて複雑な構造を作り上げて行くと入力に対して出力結果の予測が難しくなっていき、十分複雑な構造となると入力に対して予測が不可能になるという理論だ。
これは複雑になれば初期鋭敏性(初期値の微妙な誤差に対して結果が大きく変化する性質)が現れる事を直観的に理解できれば、初期値としての電子や原子の不確定性が結果に大きく影響し、すなわち結果が予測できないとおのずと直観的に理解できるだろう。
これと関連してフラクタル(Wikipedia)という概念がある。
フラクタルの自己相似性は「フラクタルの一部を拡大すると元のフラクタルと同じ形が現れる」という性質で非常に不思議で面白い。
ここからが本題
さて、前提が終わったところでここから本題に入ろう。
「2ちゃんねる」とは何かと考えるために一つの仮定を挙げる。
「2ちゃんねるとは光である」
仮定「2ちゃんねるとは光である」とは
「2ちゃんねるはこの閉塞した社会にさした一筋の光」というような詩的な話ではなく、その性質が似通っていることを表している。
前提2に似せて書くならば「2ちゃんねるとは粒子であり波である」だろうか。
一つ一つ解き明かしてみよう。
2ちゃんねるは粒子的性質を持つか
前提1で前述したように総体として「2ちゃんねる」とした場合、「2ちゃんねる」とは「システムとしての2ちゃんねる」を利用するユーザー(=呼称としての2ちゃんねらー)の集合と捕らえる事ができる。
このユーザーは一般的に剛体としての個人であり、分割不可能な最小単位である。(*3)
ユーザーは古典物理学的に言えば、ある時点に置いて「場としての2ちゃんねる」に存在した事は確定的であり、その点に置いて極めて粒子的であると言える。(*4)
2ちゃんねるは波動的性質を持つか
2ちゃんねるに限らず口コミによるネットワークなどでも見られる流行の伝播は、以下の性質から非常に波的であると言える。
- 発生源を中心に放射状に運動が伝達される
(例:一人が使いはじめた「新語」が口コミを通して伝播する。Vipで流行ったAAが他板に伝播していく。 など) - 他のムーブメントと干渉し、部分的に飛躍的なエネルギーを持ったり消滅したりする。
(例:サッカーブームとナショナリズム的風潮が干渉することによるサッカー日本代表への熱狂、AAの流行とFlashブームの干渉によるAAフラッシュの大流行 など(*5))
ということで
「総体としての2ちゃんねる」は「個の集合」(=粒子的)という面と、「流行や意志の伝播」(=波的)という光に似た2面性を持つと言える。
–
ここでもう一つ物理的現象と似通った現象を紹介しよう。
ツボとネタと共振
お笑い番組などを家族と見ている時、特定のネタにおいて自分だけ大笑いして他の家族はシラーっとしている。
そんな経験が誰にでもあると思う。
これは物体の共振という現象に似ていると言える。
共振 (きょうしん) は、エネルギーを有する系が外部から与えられた刺激により固有振動を起こすことである。特に、外部からの刺激が固有振動数に近い状態を表す。共鳴と同じ原理に基づく現象であるが、電気や固体については「共振」の語がよく用いられる。
共振の特性を表す無次元量としてQ値が用いられる。値が大きいほどエネルギーの分散が小さく、狭い振動数の帯域で共振する。
共振のシステムとして、振動する振り子が単純な例として挙げられる。振り子を押して系に振動を励起することにより、振り子はその固有振動数で振動を始める。振り子の固有振動に近い周期で振動を与えると、振動の振幅は次第に大きくなる。しかし、固有振動と大きく異なる周期で振動を与えると、振幅は大きくならない。
共振 – Wikipedia
上述の例ではネタ(情報)を振動(波)、各個人を固有振動数(ツボ)を持つ物体として捕らえた時、振動(ネタ)と固有振動数(ツボ)が近い個人だけ笑い(共鳴し)、固有振動数(ツボ)と遠い個人は笑わない(共鳴しない)とすれば共鳴現象との類似性を理解できるだろうか。
これは笑いだけではなく、ある情報に対する興味を持つという動きに一般化できるだろう。
つまりこの例から導かれる仮定は「個人が情報に対して興味を持つ/持たないという選択は物質の共振現象に似たメカニズムを持つ」だろうか。
こう一般化したときの固有振動数とは単にツボと言うよりも、むしろ「嗜好」と言った方が分かりやすいかも知れない。
–
では、この共振現象を前述の「2ちゃんねる光仮説」と掛け合わせてみよう。
2ちゃんねるでの共振現象
前提1の通り2ちゃんねるは「板」と呼ばれるカテゴリに分類されている。
各板毎にテーマが決まっているのは勿論、風習などもさまざまである。
一般的にユーザー(2ちゃんねらー)は各個人単位に利用する板はさまざまで、複数の板を掛持ち(*6)している。
この事から各板には似た嗜好を持つ個人(2ちゃんねらー)が自然と集約されていく。(*7)
これを逆説的に言えば、当然の帰結ながら「同じ板は同じ嗜好(ツボ)の近い個人の集合」となる。
–
ここに1つの情報(波)が伝播するとどうなるだろうか。
板(の傾向として)の固有振動数と遠い場合
これに対する反応は伝統的に同じであり、スルー(誰も反応しない)か「板違いカエレ」だ。
つまり情報に対する共振は起こらない。
つまりは何も起こらない。
板(の傾向として)の固有振動数と若干近い場合
固有振動数に近い場合、なんらかのレス(= 共振)が起きるが、全体的にレスを返す人数が少なくしだいに収束してゆく。
もしくは単独のスレッドで多いに盛り上がるが、スレッドが盛り上がるだけで外部に波及していかない。
板(の傾向として)の固有振動数と近く、参加者が多い場合
上記反応に加え共振自身が新たな情報としてスレッドに対して与えられる為、更に近い固有振動数を持つ粒子(個体)が共振する。こうして共振が共振を呼びスレッドの流れが加速していく。
この傾向は板(住人の)の固有振動数に近ければ近い程、さらに共振する粒子の数が多い程強まる。
しかしながら、外部から与えられる情報が途絶えると次第に収束していき(流れが遅くなり)いずれは平衡状態に戻る。
逆に情報が次々与えられると共振は続き、更に個体の共振に共振する別の個体が現れスレッドのエネルギーは強大化して行く。
個々のユーザーは複数のスレッドを行き来する傾向が多く、また前述の通り複数の板をかけもちしているため、共振のレベルが閾値(*8)を超えると情報は外部へ伝播してゆく。
その伝播先においても、この共振有無によって加速か収束のいずれかの選択が起こり、加速になった場合情報の再拡散が起こる。
性格上、電凸などが起こりやすい板でこの共振が起こると、そこが発信源となり第2、第3の情報(波)がもたらされる事で共振が収束すること無く継続してゆき、エネルギーも拡大の一途を辿る。
こうして1つの情報が多くの個体を巻き込みながら拡散し、相互共鳴により爆発的なエネルギーが発生する現象、これこそが祭と呼ばれるものの正体だろう。
–
ここ数年で爆発的な威力を発揮した祭、それは「イラク 3日本人拉致事件」(*9)と「人権擁護法案」(*10)ではないだろうかと思う。
前者は拉致被害者が開放され暫くまでの2ヵ月間程度の短期間ではあるが、他に例を見ない程の爆発的な祭状態となり、その影響範囲は2ちゃんねるやインターネットを飛び越え一般メディアに飛び火するまでとなった。その後発生した香田氏拉致殺害事件において再加熱したものの次第に収束し現在では完全に平衡状態となっている。
後者は外部からの情報がかなり少なくなって来た 2005年11月の現在でもvipやオフ板など少数の板で継続しており、過去例を見ない程長期間の祭となっている。
–
両者は発生過程も遷移も違うが、これらの仮説を用いればそのメカニズムが説明できるのが分かるだろうか。
祭とは制御可能か
では、この大規模な鳴動現象(祭)を制御することは可能かを検証してみよう。
祭の発生は予測可能か
まず、祭の発生を予測できるかを検証してみよう。
そのためには、まず個体の集合としての「2ちゃんねる」は十分複雑であるかを検証する必要がある。
まず個体の集合「2ちゃんねる」を構成する個人は、入力と出力の因果関係が容易に類推しやすい単純系のシステムであろうかを考える。
これは明確にNoであろう。
特定個人において入力と出力の関係は、その特定個人を知る限りある程度単純化して考える事は可能(*11)であろうが、その単純化の度合は特定個人と判断者の密接度に比例すると考えられる。
逆説的には不特定個人となると全くお手上げだろう。
つまり人間は人間であるというだけで十分複雑なシステムであると言え、即ちカオス理論により不特定個人の未来は予測不可能であると言える。
いわんやその不特定個人の不特定多数集合である「2ちゃんねる」においてをや。
つまり祭発生の厳密な予測は不可能である。(*12)
祭を終わらせることは可能か
では、祭の発生を予測できないとして、それを強制的に終了させる事は可能であろうか。
これを解き明かす鍵は同じく物理学の観点に見えて来る。
共振現象は単純化してブランコの振動に例えられる。
ブランコを漕ぐときどうするだろうか。
それは体験的に共振周波数に合わせ力を加える事であり、さらに体験的に言うならばブランコが一番振れた時に力を加える事と言えば分かりやすいであろう。
力学的に言うならばブランコの振れる周期が即ちブランコの共振周波数であり、そのピークで力を加える事は共振周波数に一致したエネルギーを加える事と一致する。
では逆に振れているブランコを止めるにはどうするか。
一般的にはエネルギーを加えずに待つとなる(*13)が、物理学的にはもう1つの解が用意されている。
それは「物体の共振に対して逆相の固有振動を加える」である。
つまり振動しているブランコの周波数に併せてブランコと逆の力を加えてやることで共振を止めるというものだ。
これを祭に適用するとどうなるだろうか。
まず、力をかけずに止まるのを待つ方法。
この場合、力とは情報を表すためこの方法は「祭に対して新たな情報が伝播されるのを阻止する」と同義だ。
しかし、情報の流出をコントロール出来ない状況において新たな情報の伝播を阻止するのは極めて難しいと言わざるを得ないだろう。
また、この方法で祭はいずれ確実に鎮火するがそのスピードは遅い。
では逆相振動はどうだろう。
この場合の逆相とは、「祭の元となった情報を打ち消す逆方向の情報」を意味する。
これでは分かりにくいので、一つ例示してみよう。
祭の例として例示するだけで、事件の是非や対応の是非について語るつもりはありません。勘違いしないように。
今年9月から発生し大規模な祭となった「エイベックス”のまネコ問題」ではアスキーアートの著作権とエイベックスの商標、意匠権において、各地で意見の衝突が起こり祭に発展しました。
(参考:エイベックスのまネコ問題まとめサイト-はじめに)
傍目に見て、祭参加者の意見(固有振動数)は総じて以下のようなものでした。
- 商標や意匠として登録されることでAAの使用が制限されるのは困る
- 2ちゃんねるなどのコミュニティで育て愛されて来たキャラクタを使って金を稼ごうという魂胆が許せない
これに対して、どのような力(=情報)を加えれば祭は収束したのでしょう。
単純にはそれぞれの固有振動数に対して逆相、つまりネガティブなポイントにポジティブな情報を流せば良いので、
- 商標は登録しますが、AAの使用を私用、商用問わず制限しません。
- 収益の一部はコミュニティへ環流します。
などになるだろう。
こう見ると、この事件に置いてエイベックス社の発表した
■のまネコ著作権について
当社製品に使用されているキャラクター「のまネコ」は、「のまネコ」の著作権を管理する有限会社ゼンと商品化契約を締結した上で使用しております。
「のまネコ」は、インターネット掲示板において親しまれてきた「モナー」等のアスキーアートにインスパイヤされて映像化され、 当社と有限会社ゼンが今回の商品化にあたって新たなオリジナリティを加えてキャラクター化したものですが、 皆様において「モナー」等の既存のアスキーアート・キャラクターを使用されることを何ら制限するものではございません。
何卒ご理解のほどよろしくお願いいたします。
有限会社ゼン http://www.e-zen.info/
エイベックス ネットワーク株式会社 2005年9月8日
エイベックスのまネコ問題まとめサイト-経緯詳細
※「9/8 夕方頃」の欄
という発表は、前述方策の1をほぼ完全な形(*14)で網羅しており、事実これ以降「AAの使用が禁じられる」といった意見は下火になって行ったように思う。(*15)
以降は2つめの問題に終始していったわけだが、10月13日に出された2ちゃんねる管理人ひろゆきによる発表
* エイベックス社がパクリに関して認めること < 実質的には認めた
* エイベックス社が謝罪をすること < 謝罪した
* キャラクター使用料が恵まれない人たちの幸せのために使われること
さて、エイベックス社がキャラクター使用料を放棄するということは、 キャラクター使用料が宙に浮いてしまっているわけです。
ちなみに、ネットの人たちの共同著作物である「電車男」の二次使用料に関しては、 新潟県中越地震災害義捐金として、 今年の前半だけで784万3500円の寄付をしています。
エイベックスのまネコ問題まとめサイト-10/13 西村氏の見解
がこの2つめの逆相情報そのものとなっていて非常に興味深い。
結論
祭状態は制御できないが、収束にむかい易い状況をつくり出す事はできる。
ただし、それで収束するかどうかは予測できない。
–
これまでの仮説が妥当な物であるとするならば、祭とは不特定多数の個に対する共振、およびそれらの相互共振による大規模な鳴動であると言う事ができるであろう。
では、この現象が2ちゃんねる特有の現象であると結論付けて良い物なのかという疑問が出て来る。
再度振り返って2ちゃんねるとは何だ
振り返って2ちゃんねるの特性をここで列挙するならば
- 匿名の容認されている空間である。
- 現実と解離した仮想空間である。
- (板のカテゴリにより)同質の個が集約しやすい空間である。
- 極めて多くの人間がいる空間である。
だろうか。
しかし、これら一つ一つはさして特殊な特性というわけではない。
1,2はインターネットという仮想空間自体が持つ性格であり、(本人が敢えて出さなければ)現実世界や現実世界での名前と関連を持つ訳ではない。
3は現実世界においても自然と構成されるコミュニティおいても同様に似た嗜好を持つ者どうしが集まりやすいだろう。
コミュニティに限らず友人関係などにおいても同様の性質を見出す事ができるのではないか。
こう考えればこの性質が2ちゃんねる特有のものと考える事は難しいだろう。
4は少々特殊ではあるが、例えば日本という1つの(国という)コミュニティ同様、1参加者に取って把握不可能な程不特定多数の個が参加していることに変わりが無い。
ということは、2ちゃんねる固有の性質が無いという事になる。
では、2ちゃんねるは特殊な空間じゃないという事か。
–
冷静に考えればこの特徴はインターネット全てに該当するではないか。
一般的にハンドルネームが使われるとしても、現実世界の名前と関連を持たない点では匿名と本質的に変わらず、現実世界と解離した仮想空間で、嗜好によるコミュニティはリンクにより構成され、世界中で圧倒的な大人数の参加する。
ということは、2ちゃんねるはインターネットの一部にしてインターネットそのものと言えるのではないか。
つまりインターネットとは自己類似性を持つフラクタルであり、その自己類似を示す一部が2ちゃんねるであり、2ちゃんねるとその他の違いは結局のところ究極的にはその境界でしか無いわけだ。
総括として2ちゃんねる議論で陥りそうな罠
ここまでで挙げてきた2ちゃんねるから、「2ちゃんねる議論」において陥りがちな罠が見えて来る。
特定の個の特性をもって2ちゃんねるを論ずる
「0という事件を起こしたのも2ちゃんねらー、0という事件を起こしたのも2ちゃんねらー、だから2ちゃんねるは犯罪者の巣窟だ」
あまりにも下らない。
なぜなら、その論によって論ぜれるのはその特定個人であり、2ちゃんねるユーザー全体でもましてや2ちゃんねるでも無い。
なぜならその論により観測できる個はその論によって特定される個のみであり、他の個は確率的に存在/非存在の両方に存在するからだ。
その不定な存在に対してこんな議論をふっかけたとして出て来る結果は「否定」しかありえない。
なぜならこの問いは「不確定な存在を一義に定義できるか」という命題であり本質的に否だからだ。
言い替えて言うならば「コップの水の水平断面は円だ、茶碗の水の水平断面だ、よって水の水平断面は円である」が否であるのと同じだ。
2ちゃんねらーを疑似人格として論ずる
これも前述と同様で、不確定の物を確定的に論じても否定の答えしか出てこない。
結局のところ疑似人格化される「2ちゃんねらー」は論者の見える(見てきた)範囲の「2ちゃんねらー」以上ではありえず、それ以外の「2ちゃんねらー」は不確定である。
ということは必然的に疑似人格としての「2ちゃんねらー」は論者の数だけ存在し、その人格は似る事もあれば似ない事もある。
そんな不確定なものを「2ちゃんねらー」の名前の元議論の爼上に挙げる事自体が致命的に間違えてる。
ましてや論の対立する相手との議論においてなど尚更。
2ちゃんねるを組織であるかのように論じる
光を物体のように論ずる事の愚かさと同義。
2ちゃんねるに強制力は存在しない(*16)。例え管理人のひろゆきであったとしても。
そこにあるのは境界としての「2ちゃんねる」と情報(波)と確率的にあるかもしれない「2ちゃんねらー」である個でしかない。
結局のところ
このエントリすら無意味でしかない。
なぜなら、このエントリで投影される2ちゃんねる、2ちゃんねらは筆者である俺に見えている範囲においてのみ存在し、その他については確率的にしか存在しないからだ。
つまり
,.ィ , – 、._ 、
. ,イ/ l/  ̄ ̄`ヽ!__
ト/ |’ { `ヽ. ,ヘ
N│ ヽ. ` ヽ /ヽ / ∨
N.ヽ.ヽ、 , } l\/ `′
. ヽヽ.\ ,.ィイハ | _|
ヾニー __ _ -=_彡ソノ u_\ヽ、 | \ このエントリの正当性も
.  ゙̄r=<‐モミ、ニr;==ェ;ュ<_ゞ-=7´ヽ >
. l  ̄リーh ` ー‐‐’ l‐”´冫)’./ ∠__ また確率的にしか存在
゙iー- イ’__ ヽ、..___ノ トr‐’ /
l `___,.、 u ./│ /_ しなかったんだ!
. ヽ. }z‐r–| / ト, | ,、
>、`ー– ‘ ./ / |ヽ l/ ヽ ,ヘ
_,./| ヽ`ー–‐ _´.. ‐”´ ./ \、 \/ ヽ/
-‐ ”'”  ̄ / :| ,ゝ=< / | `”’‐- 、.._
/ !./l;’;’;’;’;’;’;\ ./ │ _
_,> ‘´|l. ミ:ゝ、;’;’;_/,´\ ./|._ , –、 | i´!⌒!l r:,=i
. | |:.l. /’;’;’;’;’;|= ヽ/:.| .|l⌒l lニ._ | ゙ー=’:| |. L._」 ))
l. |:.:.l./’;’;’;’;’;’;’! /:.:.| i´|.ー‐’ | / | |. ! l
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: ’ ・丿  ̄≠Ξイ´,-、 ヽ /イ´ r. `ー-‘メ ,.-´、 i u ヾ``ー’ イ
\_ _,,……:: ´゙i、 `¨ / i ヽ.__,,… ‘ u ゙l´.i・j.冫,イ゙l / ``-、..- ノ :u l
u  ̄ ̄ 彡” 、ヾ ̄``ミ::.l u j i、`ー’ .i / /、._ `’y /
u `ヽ ゙:l ,.::- 、,, ,. ノ ゙ u ! /_  ̄ ー/ u /
_,,..,,_ ,.ィ、 / | /__ ``- 、_ l l ``ーt、_ / /
゙ u ,./´ ” ``- 、_J r’´ u 丿 .l,… `ー一”/ ノ ト 、,,_____ ゙/ /
./__ ー7 /、 l ‘゙ ヽ/ ,. ‘” \`ー— “,.::く、
/;;;””  ̄ ̄ ───/ ゙ ,::’ \ヾニ==='”/ `- 、 ゙ー┬ ‘´ / \..,,__
、 .i:⌒`─-、_,…. l / `ー┬一’ ヽ :l / , ‘ `ソヽ
ヾヽ l ` `ヽ、 l ./ ヽ l ) ,; / ,’ ’^i
*2:この2つが同じ語で語られてしまう事が全ての混乱の元のような気がする。「2ちゃんねらー」「2ちゃんねらーず」と使い分ければ混乱の大部分が減るんじゃないかなぁ。
*3:特殊な例として多重人格や、心理学的なペルソナ、広告レスを絨毯爆撃するロボットなどは考慮しない。
*4:「『仮想的な場』に存在したことが『確定的』」というのも良く分からないが、「ある時点において特定の人物が『2ちゃんねらー』であることの十分条件は『その時点においてその人物が【システムとしての2ちゃんねる】に接続していた』である」の逆説的な言い方だと思ってくれるといいなぁ:-P
*5:両者とも明示的な因果関係が証明されたわけではなく、あくまでも俺の個人的見解というか感じ方の上での話。
*6:というのもおかしな話だが。ニュアンスを感じとってくれ:-P
*7:もちろん同じ嗜好、例えば「洋楽好き」が集まっている洋楽板であっても、真逆の嗜好を持つ「アンチ洋楽」な個人もいる。ただ、全体的に洋楽好きな個人の集約度が高いとは言えるだろう。
*8:当然明確な値があるわけではなく、各個人が「これは伝えなきゃ」と思った時だったりする。ただ、ある程度元スレッドが盛り上がり熱量が上がった時にこのような現象が起きやすいとは言えるだろう。
*9:2004年3月末、イラクで日本人のジャーナリストや活動家が現地テロ組織に拉致された事件で、被害者家族の言動などからニュース速報+を中心に爆発的な祭へと発展した。
*10:2005年3月、自民党総務部会に「人権擁護法案」が提出され、その法文解釈を巡りインターネットを中心に反対運動が巻き起こった。現在ではその最初の発信点は知る由もないが多くのBLOGやサイトに飛び火し、2ちゃんねる全板に関連スレッドが立てられるという大規模な祭となった。
*11:もちろん「その個人をどれだけ知っているか」や、入力時のシチュエーションなどによって類推できない出力が得られる事もある。
*12:確率的な予想は可能ではあるが。
*13:地面に足をついてブレーキをかけるってのもあるけど敢えて無視。というか力学的には逆相加力と同じなんだけどイメージしにくいし。
*14:2ちゃんねる関連グッズの販売に言及しなかった部分が完全と言えない部分。
*15:あくまで私感。
*16:あえて強制力と言えるのは削除、スレスト、アクセス禁止措置ぐらいだろうか。しかしどれも組織を形作る命令とはかけ離れた物で、どちらかと言えば事後措置、事前措置であるためあえて除外した。
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