リネII仲間の友和@ジグハルトのBLOGのエントリ理想は理想から。

店の有線でこんな感じの曲が

みんな0みんな0しあわせになれればいいのに0ﴀ＀
悲しみなんて0すべて0なくなればいいのに0ﴀ＀

うわ怖っ
ごめんなさい怖すぎます耐えられませんhhh
みんなが幸せになったらその時点で全員が普通になってるじゃん
悲しみが全てなくなったら喜びなんてなくなってしまうじゃない(・・;)

そんなに怖いかな。
気色悪いっつーか頭の悪い子がポエミーな気分に浸っちゃってるなーとは思うけどね。
なんか哲学的におもろいエントリだったんでちょっと触れてみる。
とはいえ哲学なんてやったことねーのでそんな雰囲気ってことで。


友さんは歌の前段に触れて

みんなが幸せになったらその時点で全員が普通になってるじゃん

と言ってると思うんだけど微妙に違うかなと。
幸せっつーのは味覚とかと一緒であくまでも本人の感覚でしかなくて、その度合いを他者と比較する類のものじゃないかと。
ましてや幸せの基準は言うに及ばず。
たとえばA,B,C3人のグループ内で

A:
「お金ないし恋人もいないけど今日も愛車で峠を走れる俺って幸せ。」
B:
「お金は無いけど愛する妻が今日もご飯作って待っててくれるオレ最高に幸せ。」
C:
「オレ金超持ってる。恋人なんかいらねーよ。金がすべて。超幸せ」

って3人幸せでもお互い普通だとは思っていないだろうし、実際矛盾もないやね。
「うお。アイツすげぇ幸せそうだ。マジかよ。オレあんなに幸せじゃねーよ。やっべ。マジブルーになってきた。」
ってのもあるだろうけどなんか違うわな。


ただ、逆に幸せの基準が一元化されるような特殊な状況下だと話が全く逆になってくる。
一番わかりやすいのが勝負の世界。あとはギャンブルとか。
ギャンブルなんてのは結局「勝ち」か「負け」の2つの結果しかないわけで、さらにそれに打ち込む全員が「勝ち」側に入ろうとしてる。
こういう状況下だと勝者の幸せは敗者の不幸の上に成り立つことになるので

みんなが幸せになったらその時点で全員が普通になってるじゃん

という指摘の通り「全員の」幸せを追求した結果は誰も幸せになれないっていう構造になる。
まぁコレが射幸心を煽る元になっててこれがなかったらギャンブルが成立しなくなっちゃうんだけどね。


苦労して苦労して味わう小さな幸せがどれほど心地よいか
幸せを願うだけで幸せになれるという考え方が病んでる

これを突き詰めたのがシンデレラ症候群かな。
いつか白馬に乗った王子様が迎えに来てくれるんだわっ!みたいな。
絶対こねーよ。とか。

リネでもいい奴ばっかだったらどれだけつまらないか
悪役のいない世界なんて不健全
悪い奴ばかりってのも萎えるけどね…
『悪役』をロールプレイしてくれてる彼らに感謝すら覚える
言いすぎだけど心のどこかでそう思ってます。

これはすごい同意。
悪役であるキャラクタは正直あんまり良く思わないけど、あえて悪をやるプレイヤーがいるからこそ良い人の良さが際立つわけで。ある意味、自分がいい人と思われるのは そんなプレイヤーの上に成り立ってるんですよと。
確かにルサンチマン的思考に近いねぇ。
まぁその中でも善悪の価値観が違う人が集まってるわけで単純なバイポーラ構造にならないところにネットゲームの面白さがあると。
そう思うわけですよ。
つか価値観の統一、幸せの基準の統一を国レベルでやってるのが北朝鮮だったり、オウムはじめとしたカルトだったりするわけで。
あの集団に感じる漠然とした気色悪さの根幹てのはこんなとこにあるんだなーとか思ったり。
でも逆にこういう風に感じられるのは民主主義の国に生まれたからなんだろな。
うん。ダラダラ書いてたらグダグダになってきた。
まぁいっか。てへ。