最近起きた2件の悲劇、佐世保の小6女児殺害事件(長崎新聞)とイラクの邦人ジャーナリスト殺害事件
これらの事件後の被害者遺族の会見になんと言うか潔さのようなものを感じた。


「娘がいないのはあり得ない」 父親の御手洗さん会見(長崎新聞)

 【佐世保】佐世保市の同級生殺害事件で、殺された佐世保市立大久保小六年、御手洗怜美さん(12)の父親で、毎日新聞社佐世保支局長の恭二さん(45)が一日午後八時すぎから市役所で記者会見し、「娘が目の前にいないのはあり得ない」と、突然娘を失った悲しみを語った。
 恭二さんは佐世保署で事情聴取を受けた後、会見に臨み、「今でも何が起こったのか理解できない」と疲れ切った表情。「現場で怜美が倒れているのを見てもうそだという感じしかなかった」と話した。

自分の娘が突然殺されてしまう。しかも同級生に。
自身が新聞記者として普段取材する側で、取材がいかなるものかと知っていたとしても、このような想像できないほどの状況で取り乱すことも無く淡々と冷静に語るこの父親の会見を見ていて尊敬の念さえ浮かんだ。
一方イラクの事件の被害者遺族は
家族、気丈涙こらえ…会見 イラク邦人記者襲撃(中日新聞)

 気丈に振る舞おうとする妻と一縷(いちる)の望みをかける母―。バグダッド郊外で起きた日本人フリー記者襲撃事件。被害に遭った橋田信介さん(61)の妻と小川功太郎さん(33)の母は二十八日午後、相次いで上京。東京都内のホテルで急きょ開いた記者会見で、過酷な現場に飛び込んでいった夫と息子への思いを、感情を抑えるように、話した。一方、同様にイラク取材経験を持つフリー記者たちは、今後も取材を続ける決意を語った。
「わたしと橋田は、いつでも覚悟はできているつもりでした」。橋田さんの妻幸子さん(50)は二十八日夕、東京・六本木のホテルで、いまにもあふれ出しそうになる涙をこらえながら語り、時おり、やさしい笑みをたたえた。あえて冷静に受け答えしようとする姿が胸を打つ。

この記事で初めて知ったのだが、この被害者は叔父、甥の関係で血縁関係だと。
つまり遺族は夫と甥、息子と兄を同時に失うという過酷な状況であるわけだ。
しかしながらこの会見ではわずかに涙を浮かべながら、しかし冷静に語っていた。
ニュースでこの会見を見たとき「凛とした」という表現が合う人だなと感じた。
両者に垣間見えるのは自ら(家族)の仕事(行動)に対する使命感とプライドだろうか。
「自らの行動によって発生した結果は甘んじて受け入れる」という。
御手洗氏の場合仕事の関係上被害者遺族に取材を行うこともあるだろう。その際被害者が話しづらい事もあえて聞くこともあるだろうと思う。であるが故にその立場が逆転してしまった今回の事件の会見ではあのような辛い状況であるにもかかわらず真摯(と言うのが正しいかわからないが)に対応したのだろうと思う。
一方、橋田氏もジャーナリストとして現在のような危険なイラクで活動するということがどのような結果を生みえるかを認識し、覚悟した上でそれらを受け入れ行動することを選択していたのだということが会見から垣間見える。その結果起きてしまった今回の事件を受け入れようとしている姿が胸を打つ。
このような考え方は武士道に重なるところがあるように感じる。
武士道精神の典型といわれる「切腹」も自らの瑕疵を自らの手で自らの命を持って償うといった意味であると思う。これは言い換えれば「自らの行動に対する結果は自らで責任を持つ」という意識のあらわれだろう。
すっかり風化してメディアにあがることも無くなったイラクの3バカ事件、あれらの家族が取った行動はどうであったか。
当時巻き起こった自己責任論の大半は3バカに向けられたものでは無く家族たちに向けられていたものだというのを彼らはわかっているのか。
因果応報。
自らの行動の責任を負う程度のプライドは無くさずに生きたいと思う。