先のエントリにガクさんからトラックバックいただきました。
これまでの経緯を知らない方はこちらからご覧になることをオススメします。

時期に関しては全く私の想像以上のものではありませんが、法律施行後の2-3ヶ月ぐらいは先に1とした現在の無関心層と、4としたネガティブイメージを受けすぎた層はガクさんの仰るように萎縮状態になるかと思います。
その中で、徐々にその状況に慣れて行きますが、言いたいことが今までのように言えないストレスが徐々に蓄積していくのではないでしょうか。
その時期も、2で挙げたポジネガ両方を理解している層と、3で挙げたポジティブイメージを受けた層は今までと同じように発言をしているわけです。
言われているような言論弾圧なんて無いと、ある意味タカをくくってますから。
で、半年もすれば弾圧なんて起こっていないという事実が徐々に浸透していくでしょうからストレスを感じた方から元のように発言をされるようになり、丸一年もすれば今とさほど変わらない、明確なヘイトスピーチだけが無くなった言論になるのと思います。

なるほど。一年と言う期間は微妙なとこかと思いますが、確かにある程度長期で見ればそうなるのかもしれませんね。
この辺は、「効能(差別的言動の予防)と副作用(言論の萎縮)がつりあうかどうか?」と言う問題なので結構重要だと思うのですが、いかんせん推測なので検証のしようがなくて難しいですね。
俺は一応過去のwinnyの事件などを頭の片隅に置きつつ考えているんですが、そちら方面のスペシャリスト―メディア論とかになるのかな?―の方々が何か発言してくれると有り難いなぁとか思ってます。

そうですねぇ。
私はこの法案の一番の効能が「今現在も差別を受け、声も上げられない人が声を上げるきっかけ」の一部にでもなれば充分副作用を超える効能になってるかと思うんで、若干独特なスタンスに立ってるのかもしれません。
この辺は注目して見守ろうと思います。

警察官で言うなら、スピード違反で捕まったりするとちょっとお小言貰うと思うんですが、(私も含めて)捕まった方ってそれほど何か感じる訳でもなく、せいぜい1年か2年気をつけようって思うぐらいだと思うんですよね。
それとさほど変わらないんじゃないですかねぇ。と思います。

しかし、やっぱり周囲の感じ方が違うじゃないですか。スピード違反や駐車違反なら「運が悪かったんだな」ですみますが、差別してるって国家機関に認められると「運が悪かったんだな」とは見てくれないでしょう。(むしろ痴漢とかに近いじゃないですか、イメージが)
まあ、そう見られてしまうと差別的言動に対する抑止力にもなりませんしね。
社会的な影響が残る可能性が高いと言う意でした。

「差別してるって国家機関に認められると「運が悪かったんだな」とは見てくれないでしょう。」というのは同意ですが、一般救済措置によるお小言(説示)は非公開ですのでそれはあんまり心配する必要は無いんじゃないでしょうか。
(もちろん「人権委員会から呼び出し食らったから行ってくる」とか本人が発言すれば周りに知られるわけですが、それは自業自得ですのでおいといて。)
ある人が、警察のお小言(というかその前の違反行為)を貰った事は調べれば簡単に出てきちゃいますが、人権擁護法によるそれはまず調べることが出来ないと思いますので、そういう意味では警察のそれよりも本人にかかる周りからの心理的負担(という表現が正しいかは分かりませんが)はよっぽど少ないかと思われます。
調査に関しては、人権委員会への情報公開請求もできるかと思われますが、その中に実名が現れるようなことは、少なくとも特別救済の公開措置が取られたケース以外では無いのではないかと思います。(法的根拠はありませんが)