この類の事件では有名な小樽温泉外国人拒否の件などから、人権擁護法案成立後に起こることを考えてみる。


小樽温泉入湯拒否事件はこのあたりからいろいろ出てくる。
この件に関し、温泉側の主張はこうだ。

・小樽は小樽港に入港する外国籍船舶の船員が多くいる町だ。
・入浴に関するマナーや文化が日本のそれと大きく異なり、過去何度と無く注意を喚起していた。
・しかしながら、船員という性質上入れ替わりが激しく一向に効果が上がらない。
・彼らのマナーの悪さにより、日本人の顧客減少が経営を圧迫する事態となった。
・さらに、彼らにマナーを注意するコストが経営の圧迫に拍車をかける事態となった。
・経営上の観点からこれ以上コストをかけることはできず、やむなく「外国人お断り」とした。

銭湯での外国人入浴差別について@大手小町などから。)
このような問題が今後発生した場合、人権擁護法により確実に是正を迫られるか、拒否して公表されるだろう。(これは差別であると実際に判決も出ている。(http://www.rondan.co.jp/html/pijyon/0211/021118.html 判決文そのものは見つかってないです_| ̄|○))
では、この温泉(銭湯?)は外国人を受け入れて倒産すべきだったのでしょうか。
これは明らかに違和感を覚えます。


日本は島国であり、江戸幕府が鎖国制度を引いたため、日本人の外国人に対する経験値は、陸続きに他国があり交流が活発であった欧米のそれとは段違いに低いレベルにあります。
これは否定できない事実で、歴史的な問題であるためこれを非難することはできません。
また、人間には未知の物を恐れる本能があります。これは有史以前より自分の身を守るための防衛的本能であり、日本人に限らずすべての人間が持っている本能です。(バラエティーなんかでたまにある、「箱の中に何かを入れておいて、それを触って何かを当てる」といった企画での参加者の反応を見るとよく分かると思います。)
これらの2つの事実が同居した場合に、未知(もしくは経験値の低さ)から来る外国人に対する潜在的な恐怖感があることは否定できない事実です。
外国人が恐ろしいわけでは無いと知識としては持っていても、本能がそれを拒否し恐怖感を抱くわけです。
これは差別というレベルではなく歴史的な事情から、日本人が知らずに取得してしまった防衛本能なわけです。
では、外国人のことをもっと知ればいいと思われる方もいるでしょう。
しかしながら、日常生活において外国人と触れ合う機会は一般的に少ないため、彼らに対する経験値を得ることが極めて困難であることが言えると思います。
それでも、徐々に外国人と触れ合う機会は増えつつありますが有史以降蓄積された防衛本能を崩すまでには長い期間が必要であることもまた事実です。
それを外国人蔑視と言われればそれまでですが、擁護法によってこれを強制的に是正するハードランディングが解決策かと言われると極めて違和感を覚えます。
ではそれに対するソフトランディングは何でしょうか。


上記案件であれば、「温泉(銭湯)常勤の人権擁護委員を配置し入湯のマナーを教える」ことで、入湯のマナーの文化的違いは乗り越えられると思うのである程度の緩和には繋がると思います。
その上で外国人と同じく入湯することの恐怖感を緩和するよう人権委員会が各種啓蒙活動を行うべきでしょう。
これは、外国人が等しく商業サービスを受ける権利を保障すると共に、温泉施設経営者が経営を続ける権利(そういう権利があるかは別の話ですが)も保障するものです。


では、これは現行の人権擁護委員法で対処することができないのでしょうか。
第一条において

第一条 この法律は、国民に保障されている基本的人権を擁護し、自由人権思想の普及高揚を図るため、全国に人権擁護委員を置き、これに適用すべき各般の基準を定め、もつて人権の擁護に遺漏なきを期することを目的とする。

とあるため、外国人に対して適用できるかはグレーですが、第十一条第一項および第二項

(委員の職務)
第十一条 人権擁護委員の職務は、左の通りとする。
一 自由人権思想に関する啓もう及び宣伝をなすこと。
二 民間における人権擁護運動の助長に努めること。
三 人権侵犯事件につき、その救済のため、調査及び情報の収集をなし、法務大臣への報告、関係機関への勧告等適切な処置を講ずること。
四 貧困者に対し訴訟援助その他その人権擁護のため適切な救済方法を講ずること。
五 その他人権の擁護に努めること。

から上記のような活動も十分可能であると思われます。
じゃ、人権擁護法案なんていらないじゃんというと、この件に関しては全くその通りです