767 : 日出づる処の名無し : 2007/08/08(水) 15:06:20 ID:DZKF51VR
ちょっと古いですが参院選直後の記事を書き起こし。

「国民目線」で話したい 記者発 中日新聞7月31日

昨年九月、最初のぶら下がり取材で、カメラの前に立った安倍首相が忘れられない。
肩を張り、拳は握り、突っ張るように立っていた。
ずいぶん気合を入れている、と思ったたが、緊張のせいだと気づいた。

首相番記者は、自由に首相と話せるわけではない。機会は一日二回に限定されたぶら下がり取材だけだ。
その短いやりとりで、首相という人間を判断せざるを得ない。新しい首相はどんな人だろうか。
最初はそんな好奇心と期待感があった。それが失望に傾くのは早かった。

首相就任早々の昨年十月初め、質問をしているのに首相秘書官が
「ありがとうございました」と強引に打ち切り、立ち去ってしまうことが続いた。
これは印象が悪く、番記者の不評を買った。

その後も「番記者支持率」は上がらなかった。昨年十二月、政府税調の本間正明会長が
スキャンダルを理由に辞任した際も、首相は「一身上の都合だから」と十三回繰り返し、うんざりさせた。

質問の間、ひたすらテレビカメラを見つめる首相の「カメラ目線」も奇異だった。
あるラジオ番組でこれを指摘されると「二十人ぐらい記者がいて質問が飛んでくる。
最初はその人の顔を見ていたが、周りをきょろきょろせざるを得ない。
国民にしゃべっているという気持ちになりにくい」と説明した。
カメラ目線は「国民目線」ということらしいが、番記者も国民だ。無視された気分になった。

テレビカメラのあるぶら下がり取材は、いつも“本番”のため、うち解けて首相の本心を聞くことはできない。
首相自身も言葉の背景を説明できず、もどかしく思っているようだった。

結局、番記者と首相の距離は縮まらず、かといって、いい意味での緊張関係を保つところまでも達していないように思う。
番記者の評価は確かに厳しいが、それは「首相には人間的魅力もあるはずだ」という来たいの裏返しだ。
参院選で厳しい審判を受けた首相と番記者が、本当の意味での国民目線のやりとりができるようになれば、いいと思う。
(大杉はるか)

【政治経済】平成床屋談義 町の噂その8 * c

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