1 : mckenzieφ ★ : 2008/05/26(月) 22:12:56 ID:??? BE:479088094-2BP(5444)
昨年6月に亡くなった宮沢喜一元首相も、天上でホッとしているに違いない。先ごろ
来日した中国の胡錦濤国家主席が宮中晩餐会でしたあいさつを、もし知っていれば…
である。
そのサワリは、日中国交正常化20年を記念して92年に実現した天皇陛下ご夫妻の
訪中を「歴史的に意義をもつ」とたたえた部分だった。「ご訪問は両国国民の美しい
思い出になり、中日関係史の美談となって伝えられています」「衷心より感謝の意を
表します」と胡氏は手放しだった。なぜ、16年も前のことを、これほどに持ち上げたの
だろう。

天皇の外遊が決まるまでに、あんな重苦しい経緯をたどった例は他にあるまい。中
国側の強い要請に応じた宮沢内閣の決断で実現したのだが、新聞に大きく「反対」
の意見広告まで載せた右派グループへの対応に手間取り、決定には長い曲折をた
どった。
こうして、昭和天皇の残した宿題を果たすように北京の土を踏んだ天皇は、歓迎晩餐
会で注目のお言葉に及ぶ。「我が国が中国国民に多大の苦難を与えた不幸な一時
期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります」として戦後の「反省」
を強調したのだ。過去への区切りをつけ、友好のきずなを固める旅だった。
「石や卵が飛んできたらどうしよう」という随員らの心配をよそに、ご夫妻は各地で大
歓迎を受けた。とくに上海では人並みが多かったうえ、抱いた子供の顔を見せようと
するしぐさが日本人とそっくりだったため、つい「在留邦人がこんなに多いのか」と勘
違いしてしまったほど。お二人は周りにそう言って笑ったそうだ。上海ガニも用意され
た夕食会は盛り上がって予定時間をかなり超え、交通規制に当たる警察が大慌てし
た。これは上海市副市長だった趙啓正さんから聞いた話だ。訪中は成功のうちに終
わった。

ところが、である。
それから6年たった98年に来日した江沢民国家主席は、宮中晩餐会で予期せぬあい
さつをした。「日本軍国主義は対外侵略拡張の誤った道を歩み…」と中国やアジアの
災難に触れて「歴史の教訓」を強調したのだった。日本で繰り返された政治家らの「妄
言」に怒りをもっていたにせよ、訪中の成果を忘れ去ったかのように、天皇の前でなぜ…。
陛下に申し訳ないとばかり、後々、この話になると宮沢氏の顔も曇ったものだ。
追い打ちをかけるようなことが最近あった。「天皇訪中は、89年の天安門事件後にで
きた西側包囲網を突破するために、中国が計画したものだった」。当時の外相だった
銭其シン(「深」の左側が「王」)氏が回顧録の中でそんなことを書いたのだ。
あれほど礼を尽くして招いておきながら、ずいぶん失敬な、と思いたくもなる。当時の
経緯からして、そんな打算だけだったとは思えないが、それみたことかとばかり「天
皇は利用されただけ」「もう中国にだまされるな」と右派の声が勢いづいてきた。
だからこそに違いない、と中国政治に詳しい国分良成・慶大教授などは晩餐会の席
でピンときた。胡氏の発言は、銭氏の言を国家主席がきっぱりと否定したところに意
味があるのだ、と。
なるほど、それもあったのだろう。それやこれや、胡氏は天皇陛下への重なる非礼を
挽回しておきたかったのに違いない。日中関係に寄せる固い思いのゆえだったので
はないか。

>>2以降に続く

ソース:5月26日付朝日新聞朝刊23面

【朝日新聞/若宮啓文コラム】江氏の来日、小泉首相の靖国参拝で悪化した日中関係の時計を巻き戻した宮中晩餐会 [5/26] * c

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