2 : 蚯蚓φ ★ : 2008/01/21(月) 07:51:52 ID:???
>>1 の続き
いつも食糧不足に苦しんでいた対馬島・女真族は決まった食糧援助をもらう代わりに朝鮮王朝のリー
ダーシップを受け入れる事にしたのだ。そして両者の間には朝鮮が決めた規則を守らなければならな
い貿易システムが存在した。今日、世界各国が世界貿易機構(WTO)規定によって貿易をするように、対
馬島・女真族は朝鮮王朝が決めた規律に従って貿易をしなければならなかった。対馬島は朝鮮政府が
発行した通信符をどうしても確保できなければ、朝鮮を相手に貿易できなかった。朝鮮は自分たちが
作ったルールによって対馬島や女真族を統制した。

もちろん女真族や対馬島の忠誠心は白玉のように「純潔」ではなかった。女真族の群小政権の中には
明にだけ又は朝鮮にだけ事大するものもあったし、朝鮮と明の両方に事大するものもあった。対馬島
は朝鮮と日本の両方に事大していた。女真族・対馬島の忠誠心が食糧援助のためだということを知り
ながらも、朝鮮の立場では対馬島や女真族の辺境侵入を阻むと同時に日本と明を牽制する必要性から
食糧援助を媒介にして、これらを自国の影響圏の下に引き入れざるを得なかった。

一方、対馬島の場合には朝鮮から冊封を受けることで日本が自分たちを占領できないように牽制する
効果が得られた。そしてなによりも朝鮮と日本の交流を媒介することで自分たちの国際的立場を引き
上げることができた。このように14〜16世紀に東アジアではその時代の中での政治・経済的必要に起
因して朝鮮-女真族-対馬島が一つの緊密な国際秩序を成していた。

明主導の東アジア秩序と別に存在したこの国際秩序を主導したのが朝鮮だったので、それはパック
ス・コリアーナと言うに値する。このようなパックス・コリアーナは壬辰の乱(文禄の役)で東アジア秩
序が変質するまで朝鮮-女真族-対馬島三つの地域の平和(不完全ではあるが)を新たにつくることにあ
る程度寄与した。一方、この体制は明主導のパックス・シニカを牽制する役割もした。

このように14〜16世紀には東アジアで明中心の国際体制と別に朝鮮中心のまた異なるミニ国際体制が
存在し、パックス・コリアーナと呼ぶに値するそのミニ国際秩序に女真族とともに対馬島も編入されて
いた。対馬島はパックス・コリアーナの中で、たとえ満足するほどではないにしても食糧提供を受けな
がら朝鮮を上国としながら暮した。このような事大は、対馬島がその狭くて不毛な島で国をずっと運
営できるようにする一種の‘ノウハウ’だった。

そして少なくともパックス・コリアーナが機能する間には朝鮮-女真族-対馬島の間に平和が存在するこ
とができた。対馬島はこのように韓半島の地方政権ではなかったが、特に14〜16世紀には韓半島と一
緒にまた他の国際体制を形成した‘高度の協力者’と言える存在だった。朝鮮と対馬島はたとえ一つ
では無かったとしても完全な他人同士ともいえない、そんな緊密で特殊な関係だったのだ。


3 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん : 2008/01/21(月) 07:54:23 ID:g7QBpYzm
つじつま合わせに必死だなw
有史以来、パックス・コリアーナなんて存在しねーw

4 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん : 2008/01/21(月) 07:54:57 ID:uK5vdOHF
まーた始まった

5 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん : 2008/01/21(月) 07:55:47 ID:8a+HWVTX
>パックス・コリアーナ

wwwwwwwwwwwww
世界史上今までどこにもなかったそして誰も気づかなかった全く新しい視点だなwwwwwwwww

【歴史】 対馬島はパックス・コリアーナの影響圏だった〜朝鮮と日本、両属の地だった対馬★2[01/19] * c

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