415 : 日出づる処の名無し : 2008/04/19(土) 03:12:36 ID:Q4GTAiBT
>>410
民事事件の「判決」は、「主文」と「事実及び理由」で構成される。

このうち「主文」はいわば結論で、「被告は●●円払え」とかそれだけ。なので
「法的効果があるのは主文だけ」というのは一応正しいが、当たり前でもある。

結論である以上その事件に対してしか意味はないので、他の事件の参考になる
「判例」になるのは、むしろ《なぜそう結論したか》という「判決理由」。
で、「判決理由」は形式上は「事実及び理由」の中に入っているのだが、ここに
はそれだけでなく、たとえば当事者の主張した事実や法解釈、裁判所の認定した
事実や証拠に対する判断など、要するに「主文」以外のものは全部入っている。

416 : 415 : 2008/04/19(土) 03:13:03 ID:Q4GTAiBT
そのなかで、まず裁判所による法解釈を記述している部分だけを抜き出す(これは
ある程度形式的に可能)。そのうち「主文」を導くために論理的に必要になる
判断を「判決理由」、それ以外を「傍論」と呼ぶのだが、これはそういう風に
分けて書いてあるわけではなく、あくまで結論からさかのぼって・読む側が
区別するもの。だから読む人によって(たとえば判例を評釈する学者によって)
どこまでが「判決理由」か、という判断が割れたりする。
# わかりやすく《これは傍論です》という趣旨のことが書いてあることもあるが、
 それは裁判長のサービス(必然ではない)。

日本法では、「判例」となった「判決理由」についても《事実上の》拘束力しかない
というのが通説。以前の判断に逆らってはいけないということはないが、たとえば
最高裁判例と違う「判決理由」を使うのは勇気いるよねえ、ということ。
まして「傍論」については法的な意味はないというのがやはり通説だが、第一に
それでも《事実上は》若干は参考になるというのと、第二に上で述べた通り
どこが傍論かが客観的には決まらない。

417 : 415 : 2008/04/19(土) 03:14:02 ID:Q4GTAiBT
まとめると、
・「傍論」は判決の「主文」ではない。が、それは判例としての意味がある
 「判決理由」も同じ。
・「傍論」も判決の一部ではある。「判決だが、判例にならない」くらいが
 おそらくもっとも正しい。
・だがどこが「傍論」かは客観的に区別されているわけではない。
# 今回の判断を「傍論」としない《まともな》法律家は多分いないけど。

長くなって申し訳ない。

【ああああああああ】小沢民主党研究第180弾【ああああああああ】 * c

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