642 : 名無しさん@八周年 : 2007/12/11(火) 01:41:00 ID:aVOxkzSA0
じゃあ皆さん歴史をおさらいして「線引き」の時期を議論しましょうかw

1964年 旧厚生省が「フィブリノーゲン-ミドリ」を認可
1971年 旧厚生省が1967年以前に認可された「全ての薬剤」の再評価をすると決定(第一次再評価)
1976年 ミドリ十字が「フィブリノーゲン-ミドリ」を「フィブリノゲン-ミドリ」に名称変更。 
     これによって「新規承認」扱いになり「再評価」自体がお流れになる
     (新規承認に際し、「再評価」は一切行われなかった。再評価をパスしたのではなく、再評価そのものが行われなかった)
1977年 アメリカFDAがフィブリノゲンの認可を取り消す
1978年 旧厚生省からミドリ十字に役人が天下る。1971年当時のこの役人の肩書きは「厚生省薬務局長」
1985年 ようやくフィブリノゲンは「第二次再評価」の対象になる
1987年 フィブリノゲンによる集団肝炎発症を旧厚生省は確認。「公にしない」ことでミドリ十字と合意
1988年 加熱フィブリノゲン認可。しかし翌年には加熱製剤でも肝炎発症を確認。
1994年 加熱フィブリノゲンにさらに意味不明の処理を施した新加熱フィブリノゲンが認可
1998年 フィブリノゲン投与が事実上ストップ。アメリカFDAの認可取り消しから21年経過
2002年 フィブリノゲンによる肝炎感染者リストを厚生労働省が隠す。同年薬害肝炎訴訟が起きる
     当時の厚生労働大臣坂口力(公明党)「フィブリノゲン投与から肝炎発症は誰でも予測できること」

【薬害肝炎】C型肝炎訴訟、救済線引きの和解骨子案は拒否…原告側確認 * c

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