262 : 名無しさん@八周年 : 2007/12/10(月) 00:23:02 ID:L/HPfgwt0
ほう、これだな。

天正15年(1587年)、豊臣秀吉は大坂城へポルトガル人宣教師ガスパール・コエリョを呼び、
日本人奴隷の売買を止め海外のすべての日本人を帰国させることなどを命じる。
コエリョはスペイン艦隊を呼び戦争の準備を行うなど秀吉に威圧をかけたが、
逆に秀吉を激怒させる事となった。コエリョの軍事行動は、バテレン追放令発布、
高山右近の失脚、長崎の拠点接収で、未遂に終わる。

秀吉は、この事件が切っ掛けとなって、宣教師と深く付き合う事への危険性を認識し、
以後はキリスト教を弾圧していく。
天正15年(1587年)6月19日、豊臣秀吉はバテレン追放令を発布。


【海外】カダフィ大佐 過去の植民地支配の賠償なければ「テロで復讐せざるをえない」 * c

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