152 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん : 2008/04/04(金) 07:38:24 ID:xF/l6zzW
大沼久夫 著 「朝鮮分断の歴史」

朝鮮の分断占領計画は、1945年8月10日から11日にかけて行われたワシントンの
SWNCC(国務・陸・海軍三省調整委員会)において決定された。この会議に参加し、
分断占領計画立案者の1人で、その後ケネディ、ジョンソン両政権で国務長官を務めた
ディーン・ラスクは、その経緯について米国外交文書のなかで次のように証言している。
それによると、北緯38度線を境界線としたのは、朝鮮の中心地であった京城(ソウル、
朝鮮総督府所在地)を米国軍の占領地域に含める為であった。当時、米国軍が朝鮮に
上陸するには少なくとも3週間は必要であったとし、ソ連がこの計画に反対したら、
米国軍は北緯38度戦までをその占領地域とすることは出来なかったであろう、としている。
さらにラスクは、ソ連軍は釜山まで南下することが可能であったにもかかわらず、米国の
提案をすんなり受諾したことに驚いたと述べている。(中略)8月8日に対日戦に参戦した
ソ連軍は、北朝鮮地域から破竹の勢いで南下し、わずか1週間で北緯38度戦付近に到達
していた。

韓国の国史学者・千寛宇 著 「絵で見る韓国の歴史 別巻」

ロシアは、朝鮮を北緯39度線で南北に分け、ロシアが北を、日本が南を占めようと
提案しました。しかし日本は、ロシアの提案を受け入れませんでした。

つまり、そもそも日本は半島の分断に反対していたのだ。
ソ連はロシア時代から半島分断を目論んでいた。それゆえ半島分断の責任は
ソ連とアメリカにあるのであり、韓国はこの両国に謝罪を求めるべきであろう。



【朝鮮半島】北朝鮮、韓国の謝罪拒否に「軍事的報復を行う」と表明★8[04/03] * c

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