37 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん : 2008/03/26(水) 08:49:20 ID:5uhpF4oW
従来、日本軍の補給不足を李舜臣の補給路遮断によるものと解釈されることが多かったが、
補給不全が生じていたのは内陸部に進出した部隊に対してであって、全戦役を通じて
九州から釜山までの海路における物資や人の流通が決定的な補給不全を起していたことはなく、
したがって日本軍の補給路が李舜臣率いる朝鮮水軍によって遮断されたと解釈するのは
正しくないとする説も近年提出されている。
この説に拠れば、日本軍の食糧不足の主な原因として、緒戦の朝鮮軍が想像以上に弱体であったため
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奥地へ急進してしまったこと、和戦の曖昧な侵攻による食料の準備不足、現地が貧しく調達を日本の常識で
想定してしまったこと、義兵や流民による輸送路襲撃の激化などが挙げられている。
そして、これらは1593年からの日本本土からの補給作戦の開始と主力軍の南部への布陣で解消されており、
準備を整えた慶長の役の侵攻作戦では補給の破綻は起きていないとしている。

【韓国】慶尚南道の李舜臣プロジェクト、日本からも関心[03/25] * c

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