414 : 名無しさん@八周年 : 2008/04/09(水) 08:03:32 ID:4KvJ0Nls0
欠陥製品は“日本の陰謀”(3)(続き)
この一件で、藤沼氏の心は最終的に決まったという。持ちだした費用はすでに3億円を超えていた。
中堅企業には痛手である。
しかし、「もういい」と氏は考えた。そして機械類の撤収の準備を始めると中国側が
待ったをかけ、通訳も言った。
「この機械は置いていってやれ」
中国側は機械の代金を支払うわけでもない。藤沼氏は断った。すると、当局が機械の
「輸出許可を出さない」と言い始めた。
「わが社が中国側に貸与する契約で持ち込んだのに、日本に持ち帰ろうとすると、
彼らは許さないと言い始めた。大切な機械や技術、金型をみすみす盗まれてなる
ものですか。私は社員と一緒に、主要な部品や金型の全てを破壊しました」
藤沼氏は中国人労働者のなかの優秀な人材を6名ほど日本に呼び、勉強させ、技術
を伝授した。中国に戻った彼らは、しかし、全員が他企業に高い給与を求めて移っていった。
中国から最終的な引き揚げが完了したのは2000年のことだ。
足かけ5年、氏が体験した中国の本質は、今も変わっていない。

【国際】中国裁判官が日系企業にわいろ強要、断ったら設備破壊されて8年以上も操業停止 * c

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