1 : 諸君、帰ってきたで?φ ★ : 2008/02/07(木) 15:03:42 ID:???0
 「日本のような偉大なチームを苦しめることができたのは光栄。だから日本のファンには
あのことはもう忘れてほしい」。いまだに日本サッカー界で語り草となっている「ドーハの
悲劇」について問われたイラク国民議会の新議員アハメド・ラディさんはこう言って笑った。

 1993年10月、カタール・ドーハでのワールドカップ(W杯)米国大会アジア予選最終戦。
日本代表は終了間際にイラクから同点ゴールを奪われ、土壇場で悲願のW杯初出場を
逃した。その試合でイラクの1点目のゴールを決めたのがラディさんだ。

 ラディさんはこれ以外にも、86年のW杯メキシコ大会ベルギー戦でイラク唯一の得点を
挙げるなど、国際試合で大活躍したストライカー。そのスター選手が2003年のフセイン
政権崩壊後、政治の世界に転じ、昨年10月、イスラム教スンニ派議会会派の別の議員が
辞任したのを受け、繰り上げ当選した。

 「わたしはスポーツの普及に大きな志を抱いているが、政策決定者たちはスポーツが
若者を育てることの意義を理解しない。だから自分が政策決定者になることにした」と、
政治の道に足を踏み入れた動機を語る。

 フセイン政権下、イラクのスポーツ界を支配していた大統領の長男ウダイ・フセイン氏
(03年に米軍が殺害)は、国際試合で敗れたイラク選手を拷問したとされる。ラディさんは
自らも拷問されたことを認めたが「どんなことをされたかは話したくない。もうあの時代は
去った」と、屈辱的な記憶に表情を曇らせた。

ソース(時事通信) http://www.jiji.com/jc...&m=rss
写真 http://www.jiji.com/ne...7sd06b.jpg

【イラク】「日本のファンの方々には、“ドーハの悲劇”はもう忘れてほしい」…イラクのサッカー選手が政治家に転身(写真あり) * c

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