一方、現代都市空間においては、「他人」とは共通基盤や共通理解の乏しい人達であり、全く見ず知らずの「情報ゼロ」の人間の占める割合が遙かに高い。インターネットの向こう側の人間、満員電車の人間、塾では会っても近所では遭わない人間…。「他人」は「他人」でも、ここでいう「他人」は1948年の日本人が遭遇する「他人」とは質的にも量的にも違いすぎる。1948年の親御さんが「他人を大切にしなさい」という場合と、2006年の親御さんが「他人を大切にしなさい」という場合、言う親の心情はともかくとして、言われる子ども側が対峙する「他人」は全く異なっている。ここに着目していただきたい。
「他人に迷惑をかけない」という要請は、現代の子ども達の適応に何をもたらすのか(汎適所属)

うーん。
そう言われれば確かに昔と今で「他人」の範囲が格段に広がってるなぁ。
「他人に迷惑をかけるな」ってのは言いがちな事だからこそ皆無自覚なのかも。
たしかに今まで一切関係がなかった全くの他人までを考慮の範疇に入れるのは子供にとって強いストレスになるんだろうなぁ。