よーしパパ人権擁護法案推進しちゃうぞー。
匿名で潜伏しつつ各所で議論かましてきた結果そうなりましたので各位よろしくお願いします。
(このエントリの半分は感情でできてます。)


理由1:差別は存在しないなどと妄言ぬかすバカタレへのカウンター
差別はある。確実にある。目に見えないだけでどこかに確実に存在する。
これは、他の誰よりも強く確信している。それは自分自身が体験してきたからだ。
私はいわゆるイジメられっ子だった。小学生のころ。
なぜいじめられていたのかは未だに分からない。子供のすることだから深い理由なんて無かったんだろう。
何を口実にいじめられていたのかは鮮明に覚えている。私は当時、家庭の教育方針でテレビを見ていなかった。確かテレビの電源引っこ抜いて見れないようにしてたと思う。結果本を読むようになったのでその教育方針は間違えていなかったのだろう。
ただ、同級生達は貧乏人のレッテルを貼りそれを口実にイジメを開始した。
ガキのやることは残酷だ。
最初は徹底的に無視された。まる2年ぐらい学校で誰かと喋った覚えが無い。
その後は嫌がらせが続いた。机の引き出しにべっちゃりとぬれた雑巾が入っているなんてこともあった。
その間、誰にもイジメに合っていることは言わなかった。言えなかった。
いじめられてる自分が恥ずかしいから、腹立たしいから、誰かに言ったらいじめが激化することがわかっているから。誰かに言うぐらいなら死ぬことを選びたかった。
死ぬことを考えながら眠りについたことなど数えられないほどある。
小学校6年間のうち確実に4年間は死ぬことだけを考えていた気がする。
幸いにしてか不幸にしてか最後の一線を越える前に状況は自然に変わったけど。
人権団体や支援団体がいる被差別者はまだ幸せだろう。話を聞いてくれる人がいるから。
本当に差別を受け、いわれの無い嫌がらせを受けている人間は声を上げることなどない、声を上げることができないのだ。
だから差別の実態は世の中に広まらない。差別があるとは誰にも気づかれない。
気づかれないから誰からも支援を受けることが出来ない。
ただ一人でただじっと耐えるしかないのだ。
そんな人にこの法案は正に福音だろう。
少なくとも誰かが話を聞いてくれ、それが人権侵害であれば例え強制力が無くともそれを是正せんと動いてくれる。
それがどれほどの救いになるか分かるだろうか。
例え形だけで、実効力の無い張子の虎のような法であろうとも多くの救いがあると思っている。
そのような人が一人もいなく、この法が活用されることが無いかもしれない。
それならそれが一番いい。
でも多くの声に隠されて声も出せない人が一人でも救えるなら法案を通す充分な理由になるはずだ。
理由2:個別立法論を至上のものとして語るやつらへの反目
個別に立法すれば確かに法律の曖昧さはなくなるだろう。
しかし、立法するまでには時間がかかるのだ。
今そこで差別を受けている人間を前にどの面下げて立法まで待てと言うのか。
立法するまで少なく見積もっても半年間、ただ甘んじてその差別を受け続けろと言うのか。
差別に耐え切れず命を絶つ人もいるだろう。
その命は法律の礎になったと祭り上げて終わりにするつもりか。
あなたの言論の自由はそれほど重いものなのか。人の命以上に。
理由3:法務省改正案への評価
法務省改正案において、勧告への異議申し立て制度の制定、勧告の公表において異議申し立てがなされていた時、異議申し立ての内容と公表を併記しなければならないなど極めて妥当な改正がなされたとされており、結果、積極的に反対する理由はなくなったが故に。


カリーさんが言うような法案へ反対する理由というのは充分に理解できるし、法律にしてしまうことで差別を固定化してしまうってのは全くもってその通りだと思う。
その通りだとは思うんだけど、それを踏まえてもあえて手を差し伸べておくことは重要だし意味があると思う。
今の理想は法務省案をベースに緩やかな規制の包括法(人権擁護法)と、より強い罰則を設けた個別法を並立させることがベストだと思う。
そして、いつかの未来において人権擁護法が必要のない世の中になればよりベストだろう。
我ながら青臭いと思うが、あえてここで主張しておく。