ガク@ATMPCさんからトラックバック頂きましたので、それにお答えします。
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というとこにも共通するのですが、この法が施行されたときの国民の反応は大別して

1.施行までこの法案を知らなかった、興味なかった人たち

人権擁護法についても興味ない、知らない。
よって何とも感じない。

2.この法案のネガ、ポジ両方のイメージを見、理解している人たち

人権侵害になりかねない言動に注意しつつも、さほど何も感じない。

3.この法案のポジティブイメージを見すぎた人たち

もともと人権侵害そのものを根絶すべきという立場なのでさほど変わらない。

4.この法案のネガティブイメージを見すぎた人たち

萎縮?

となると思います。(ここはあくまで私の主観です。)
となると、萎縮するのは4つ目の人たちだけじゃないかなぁ、と思うわけです。1番目の人たちはそもそも無関心ですから。

俺はむしろ1番目の人たちこそ萎縮するんじゃないかと思います。
そもそも無関心であったが故に、いざ人権擁護法案についての情報を得た時に過剰反応してしまうと思うんですよね。もちろん、ポジティブな情報が発信されるでしょうが、今回の感情的拒絶派の発生に見られたように、ポジティブな情報からでもネガティブな反応を起こす人は少なくないでしょう。
その結果萎縮が起きる可能性もあると思うんですが。

うーん、なるほど。確かにそうですね。
ただ、この辺に対する考えはご隠居の

いや、ガクさんのご心配のように、一時的に「言論の萎縮」はおこるかもしれない。それはそうかもしれんなと思います。
しかし、仮にそうなったとしても、運用していくうちに慣れていって、今までと同じようにもとに戻っていくだろうと考えるほうが、より現実的ではないでしょうか。
外野からも一言:和尚とガクさんのやりとり

という考えに同意しておきます。
あと、本音としてはもうちょっと踏み込んで考えていて、法案施行直後ぐらいに今ぐらいにヒステリックな反対論が巻き起こってくれることで、各地に擁護委員や人権委員会を監視するオンブズマンがいっぱいできたら、国民の自発的な人権論議が盛り上がったりとか、もう一歩踏み込んで政治参加意識の向上みたいなムーブメントが起きてくれるんじゃないかなぁ・・・とか考えているので、本音としてはちょっとぐらい萎縮があったほうがいいんじゃないかなぁ、とか思ってるのは公然とは口にできませんが。

行政機関が行うお小言は法律という国家の信念と、国家機関の一員としての責任で行われますからこれ以上ないぐらいの「信念」と「責任」を背負ってると思います。

もちろん、背負ってはいるのでしょうが。
しかし、俺がいったのは『自らの言った小言がどの様な影響を与えようとその責任を負う』と言うリスクを負う『責任』です。要するに『差別者』とみなされた側からの反論を聞き、周囲の反応を受け入れる『覚悟』と言いましょうか。言葉が足りなくて申し訳ないです。

ガクさんは人権委員なり擁護委員なりの「個人としての」覚悟とか責任のことを仰っているのかなと思うわけですが合ってますでしょうか?
ここは合ってると仮定した上での話しとなりますが、
ココカラ→「これに関して委員や擁護委員個人の資質に期待するとしか言いようがありません。全くもって性善説であるとの謗りを免れないわけですが。」←ココマデ

『人権擁護法』『人権擁護委員』『人権委員会』にそれを期待できるイメージを皆が持てるでしょうか?俺はその言葉を聞かされても、それが不可能な(それに関する知識の無い)人が多数いると思います。故に言論萎縮が起きる可能性を考えるわけです。

萎縮0に関しては前で述べてますが、『人権擁護法』『人権擁護委員』『人権委員会』という名前が綺麗であるが故に、胡散臭さを感じるのは理解できます。
当初は私自身がそう感じていたので。
最後ですが、

俺は別に『人権委員会』や『人権擁護委員』が恐いから人権擁護法案に反対しているわけではないですし、法案の解釈に関しては和尚@qyen.infoさんとそう変わりません。

いやはや。失礼しました。
これもひとえに私の文才の無さゆえ、ご容赦くださいませ。

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